寛解

去年の6月頃から私は病院に通っていた。
一昨年の3月に最愛の猫シロチを失った私は
それからまともな食事ができず、夜も眠れず、ついには言動までがおかしくなった。
だんなも何かを感じていたようだった。


病院に足を運ぶまでに2ヶ月くらいかかった。
こんなことで病院に行くという発想がまづ無かった。
そんな病院に自分が行くということが信じられなかった。
行ってどうなるものか、そんなもので何が変わるというのか
私のそばにシロチがいない事実が変わらない限り何が変わるというのか
治療したとしてシロチがいなくて悲しいという気持ちがなくなってしまうのは果たして喜ばしいことなのか
とにかくはなから全否定だった。
何かを宣告されるのが怖かったのも否定出来ない。


去年の6月、おそるおそる病院に行ってみた。
診察前、カウンセラーの女性に愛猫がいなくなってしまった話をした。
恥ずかしい話だが人前だというのに話しながらボロボロと涙がこぼれて止まらなかった。


その後診察を受け、うつ病の宣告を受けた。
だんなにはどうしても言い出せずずっと黙っていた。
親父や妹にももちろん話せなかった。
神経が太いことを自負する私がそんな軟弱な病に罹ることは私自身が許せなく恥ずかしかった。
今年の頭くらいにだんなにばれたのをきっかけに親父と妹にも話した。
ありがたいことにみな私に気を遣う言動を取らなかった。
腫れ物を触るように接されるなんてまっぴらだった。


今日、雨が降り出す前に月に1回の診察に行った。
だいぶ眠れるようになったこと、
見てもわかると思うがだいぶ食べるようになったこと、
あまり説明をするのが上手でないので話すことは大体頭の中でまとめていったのだが
うまく話せたかどうかはあまり自信が無い。


『もう大丈夫だね』


「私は一体いつまで通院しなくちゃいけないんでしょうか?」
今日は私の方から聞こうと思っていた。
私が話す前に先生が穏やかに言った。


以前中島らもの本で読んだのだがこの病は完治とは言わず『寛解』と言うそうだ。
完治に近い状態ではあるが完全に治ったのではなくいわば休火山の状態だとのこと。
願わくばこのまま一生休火山のままでいたいものだ。


それにしても人の気持ちなんていとも簡単に壊れるものなんだなあと改めて思った。